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ジョニー・ウィンター 訃報 2014年 来日 [訃報]

すいません・・・。頑張ります。

音楽界にまた訃報がもたらされました。

↓ジョニー・ウィンター死去(amass)
http://amass.jp/42814

アメリカのブルース歌手でギタリストのジョニー・ウィンターさんが16日にスイスのチューリヒで亡くなられたそうです。70歳でした。

ウィンターさんの2年前のインタビュー映像です。




↓ジョニー・ウィンター(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC

ウィンターさんは1944年にテキサスで生まれましたが、生まれつき全身のメラニン色素が欠落しているアルビノという障害を抱えていました。彼の肌がとても白く、髪の毛が薄い黄色なのはそのためです。ちなみに、2歳年下の弟・エドガーさんも同じアルビノで、こちらはキーボーディストとして活動しています。

エドガーさんのインタビュー動画です。


↓アルビノ(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%8E

全身を紫外線から守るメラニン色素がないため、アルビノの人は日光を避けなければなりません。さもなければ日焼けを通り越して皮膚がんになるリスクが大きいのです。また、視力障害も多く併発します。

テキサスの太陽の下では生きていけないジョニーさんは音楽、特にブルースに興味をもつようになり、始めはクラリネットを始めますが歯並びの問題から断念。ギターに転じて腕を上げていき、62年に兄弟でバンドを結成しデビュー。そして、1969年に大手レコード会社のCBSと推定数十万ドルで契約を結び、「100万ドルのギタリスト」と呼ばれるまでになります。リリースしたアルバムはヒットを重ねます。しかし、1960年代後半から他の有名アーティスト同様にドラッグに蝕まれて活動が停滞していきます。ジミ・ヘンドリックスやジャニス・ジョプリンらがドラッグで命を落としていく中、1973年にジョニーさんはアルバム「スティル・アライヴ・アンド・ウェル」をリリース。「俺は生きてるぜ、元気だ」という意味のタイトル曲にもある通り、復活をアピールしてみせました。

タイトル曲のリンクだけ載せておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=mb2frZOA1Fw

その後はロック色中心から次第にブルース色を強めていきますが、1990年代から次第に体調が悪化。視力も低下したといわれ、10年以上ライブ活動ができない状態が続きます。その後は2004年、2011年にアルバムをリリースし、11年にはついに初の来日公演を果たし、翌12年にも来日。そして今年2014年も名古屋、大阪、広島、東京でライブを行ったばかりでした。

アルビノの人は虚弱体質が多いといわれている中、70歳までよく生きてこられたものだと思います。それだけ体調管理には十分すぎるくらい気を使っていたのでしょう(上記の動画でも、カーテンを閉めた部屋の中でインタビューを行っていました)。

本当に御苦労さまでした、という他はありません。今はジョニーさんの冥福を祈りましょう。
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齋藤晴彦 入院 訃報 代表作 [訃報]

ようやくワールドカップの熱狂が静まり、記事を書く余裕ができました。書きたいことはあっても、読んでもらえるかどうかはまた別ですので頑張ります。

また昭和の名優がまた一人天国へ旅立ちました。

↓斎藤晴彦さん死去…自宅近くで倒れ搬送も(日刊スポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140628-00000094-nksports-ent

ミュージカル「レ・ミゼラブル」などで活躍した俳優の斎藤晴彦さんが昨日27日に自宅付近で倒れ、手当の甲斐なく息を引き取られたということです。73歳でした。

↓斎藤晴彦(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%99%B4%E5%BD%A6

斎藤さんは早稲田大学卒業後に演劇の世界に入り、小さな劇場を転々とした末に、1969年に「演劇センター68/69」に落ち着きます。その後、「演劇センター68/69」は「劇団黒テント」と改称し、斎藤さんは亡くなるまで籍を置くこととなりました。役者としての代表作は、今は亡き森光子さんが主役を演じた『放浪記』の菊田一夫役です。

演劇がまだ一般的でなかった時代には知る人ぞ知る存在だった斎藤さんの知名度が上がったのは1980年代に入ってからのことでした。KDD(今のKDDI)のCMで、斎藤さんはビゼーの『カルメン』に国際電話のキャッチフレーズを乗せて歌ったのです。そのインパクトは今見てもすごいものがあります。ここには載せませんが、動画サイトで検索すればすぐに見つかるはずです。

それ以降、タモリさんが司会を務めた「今夜は最高!」などのバラエティ番組に出演、伝説の深夜番組「11PM」では水曜日の司会(前任は愛川欽也さんでした)まで務めました。最近ではNHKの「クインテット」(2003年~2013年)のスコアの声を担当していました。

しかし近年は体調がすぐれなかったようで、2012年の11月に心不全で緊急入院したことが話題となりました。

↓俳優斎藤晴彦が心不全で緊急搬送(ニッカンスポーツ)
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20121201-1053904.html

その後も活動は続けていたようですが、残念ながら今回の訃報となってしまったわけです。

斎藤さんは演劇、テレビのみならず、声優として映画の吹き替えも担当していました。『フルメタル・ジャケット』のハートマン軍曹(彼の語録はネット上で有名です)はとくに有名です。

また昭和の名優がまた一人いなくなってしまいました。今は斎藤さんの御冥福を祈るだけです。
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インテルナシオナル フェルナンドン 訃報 動画 [訃報]

本当に、本当にすいません・・・。

今日の朝はサッカーのザンビア戦で盛り上がりましたね。後半最後の獲られ獲ったりの点とり合戦は見ものでした。本当に、スポーツは何が起こるかわかりません。この調子で本番では一勝でも多く挙げてほしいものです。

うって変わって、夜はAKB48一色でした。川栄李奈さんがまさかの出演かつ16位となり、渡辺麻友さんが初の一位と、これまた見ものとなりました。当然ネットは過熱し、私ごときが記事を書く余地はみじんもありませんでした。

気を取り直して書いてみます。

間もなくワールドカップが始まるブラジルのサッカー界に、悲報が入ってきました。

↓ブラジルで悲劇…元ブラジル代表フェルナンドン氏がヘリコプター事故で亡くなる 享年36(ゲキサカ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140607-00136158-gekisaka-socc

かつてブラジルとフランスで活躍した元FWのフェルナンドンことフェルナンド・ルシオ・ダ・コスタ氏が、乗っていたヘリコプターの墜落事故により死去しました。享年36、まだこれからという時の死でした。

訃報を伝えるニュース動画です(ポルトガル語なのはご容赦ください)。



↓フェルナンドン(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3

フェルナンドン氏は1978年生まれ。故郷のゴイアニア市のゴイアスECでサッカー人生をスタートし、その後2001年からフランスのオリンピック・マルセイユで実績を積み、2004年に帰国。その後はSCインテルナシオナル(以前の記事で書いたディエゴ・フォルラン選手が在籍していたことでも有名ですね)に移り、4年間プレイ。2005年にはブラジル代表に選ばれ、2006年に南米一を決めるコパ・リベルタドーレスでのブラジル優勝に貢献しました。

在りし日のフェルナンドン氏の雄姿です。




2008年からはアル・ガラファ、ゴイアスEC、サンパウロFCをそれぞれ一年で渡り歩いた末に2011年に現役を退きます。翌2012年からはインテルナシオナルの監督を務めますが、指導者としての才には恵まれなかったのか1年で解任されていました。

彼の特徴は何と言っても190cmの高身長に恵まれたことでしょう。「フェルナンドン」という登録名も、「大きなフェルナンド」を意味する愛称です。上で紹介した動画でも見られますが、あの大きな体から繰り出すプレイはさぞ迫力があったことでしょう。

伝説だった選手の訃報はさぞブラジル国民にとってはショックでしょう。ブラジル国内では貧困層などさまざまな問題があるようですが、何とか無事にワールドカップを乗り切ってほしいものです。
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齋藤ヤスカ 父 発見 騒動 [訃報]

今日はみどりの日の振り替え休日でした。せっかくのゴールデンウィーク最終日でしたが、昨日の雨の影響か寒い一日でした。

そんな中、去年ネット界を騒がせたある俳優さんのことが話題となっています。

↓“ブログ募金騒動”の齋藤ヤスカ、遭難父遺体で発見を報告(デイリースポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140506-00000073-dal-ent

俳優の齋藤ヤスカさんの父・齋藤茂勝さんが、昨年10月に新潟県の巻機山(まきはたやま)で遭難してから実に半年後に遺体となって発見されました。しかも、見つかったのは白骨化した頭部のみだったということで、身元確認の上でようやく葬儀が行われたそうです。

遭難現場の巻機山の動画をご紹介します。茂勝さんが遭難したのと同じ10月に撮影されました(2009年)。風の音が大きいので音量に注意してください。



齋藤ヤスカさんは、本名は同じ読みの「康嘉」といい、1987年生まれの26歳。俳優として活動するとともに、写真家としても活動しています。特に、『轟轟戦隊ボウケンジャー』の伊能真墨 / ボウケンブラック役が知られています。

↓齋藤ヤスカ(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%8B%E8%97%A4%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%82%AB

去年3月に上演された『Live in toRAIN No.A-h』に出演した時のインタビュー動画です。



ヤスカさんは、茂勝さんが遭難した後、まだ生死も判明していないにもかかわらず捜索に費用がかかるとしてブログで資金を募りましたが、2chなどのネット上で反発を買い、ブログは炎上。

↓【大炎上!】特撮俳優 別荘も持っている齋藤ヤスカが父親の捜索費の募金を呼びかける(NAVERまとめ)
http://matome.naver.jp/odai/2138162588096442701

さらに、募金の用途を、捜索の他に父の治療もしくは葬儀用だと書いたことが不謹慎だとしてさらに火に油を注ぐ結果となり、警察の中止要請を招いて一大騒動に発展してしまいました。

ヤスカさんの立場から考えると、大事な家族の生死がかかっていたのでせっぱつまって書いてしまったのではないか、と思ってしまいます。しかし、捜索費用は後で請求されるわけですし、生死がわかる前に募金の用途についてあのような書き方をしたのは問題だったと思います。

遺体がとりあえず見つかったことで、本人もとりあえずは区切りがついたと思います。ですので、今はそっと見守ってあげた方がいいと思います。

あと、皆さんも山登りの時は本当に気をつけましょう。
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松岡直也 和田アキラ 62年 動画 [訃報]

昨日はせっかくの祝日に文字通り水を差された一日でしたが、今日はこちらでも雨足が強くなりそうです。バイク通勤なので、行き帰りがいやですね。

日本の音楽界の偉人がまた一人天に召されました。

ピアニスト/作・編曲家 松岡直也は、平成26年4月29日午前10時22分に永眠致しました。(享年76歳)


↓松岡直也オフィシャルサイト
http://www.ant-inc.com/

日本のジャズ・フュージョンを代表するピアニストで、作曲家・編曲家でもあった松岡直也氏が4月29日に亡くなられました。

↓松岡直也(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E7%9B%B4%E4%B9%9F

松岡さんは、1937年横浜生まれ。ホテル業の家に生まれた松岡さんは、7歳ごろから独学でピアノ演奏をはじめ、早くも15歳でパン猪狩のバンドメンバーとしてデビュー、さらに浜口庫之助のバックバンドで経験を積みます。この時からアレンジも始め、ヒット曲「黄色いさくらんぼ」も松岡さんの手になります。

その後はラテン音楽にはまってバンド活動を開始するとともに、映画・テレビ・CM音楽等の作・編曲、スタジオ・ミュージシャンとして活躍します。1972年にレコード大賞新人賞を獲得した青い三角定規の「太陽がくれた季節」のアレンジなどが当時の代表作です。

その後はインストバンドの活動が多くなり、ビッグバンド「松岡直也&ウィシング」を経て「松岡直也グループ」を結成。そこで巡り合ったのが、盟友となる和田アキラ、高橋ゲタ夫、カルロス菅野、大橋勇武各氏です。

松岡さんが再結成したウィシングで和田さん、村上"ポンタ"秀一さんらと共に行った2012年のライブ映像です。



その後の代表作を挙げると、ニューステーションのテーマ曲、中森明菜さんの「ミ・アモーレ」のプロデュースなど上げたらきりがありません。

2012年に音楽活動60周年を迎え、62年目の今年も3月まで精力的に活動を続けていました。しかし、同月末に2001年から患っていた病気が悪化し、亡くなるにいたったわけです。

上記のライブ映像や、「ミ・アモーレ」を聞くと、本当に松岡さんがラテン音楽の魂を完全にものにしていたことがよくわかります。ニュースステーションのテーマも、今でも諳んじられるほど印象に残る曲でした。

2012年に音楽活動60周年を迎えられたことは自身にとっても奇跡あり、誇らしい輝きを手に出来たと思います。今まで沢山の声援、誠にありがとうございました。松岡直也サウンドはこれからもメロディを歌いリズムを鳴り響かせ続けます!(公式サイトより)


今は、松岡さんの功績に感謝しつつ冥福を祈ろうと思います。
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フィリップ・シーモア・ホフマン 死去 ハンガーゲーム2 遺作 動画 [訃報]

昨日とはうって変わって、今日は霧はかなり薄らいで来ました。

また、映画界から訃報が飛び込んできました。

↓「カポーティ」フィリップ・シーモア・ホフマンさん死去(朝日新聞デジタル)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140203-00000004-asahi-movi



アメリカの映画俳優、フィリップ・シーモア・ホフマンさんが、2日にニューヨークの自宅で急逝しているのが発見されました。死因については、薬物のオーバードーズが疑われているようです。46才という若さでの早世が、世界中で惜しまれています。

↓フィリップ・シーモア・ホフマン(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%B3

ホフマンさんは1991年にデビュー。翌1992年の『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』で評価を得、映画、舞台で活躍、そして自ら映画製作会社を立ち上げ、2005年に第一作の『カポーティ』を公開。自ら演じたトルーマン・カポーティ(『ティファニーで朝食を』、『冷血』の作者です)でアカデミー主演男優賞やゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)などを受賞。2012年には『ザ・マスター』でヴェネツィア国際映画祭男優賞をホアキン・フェニックスと共同受賞。私生活でも、パートナーとの間に3人の子に恵まれるなど、役者としていよいよこれから、という矢先の訃報でした。

昨年公開された『ハンガーゲーム2』が遺作となるようです。

『ハンガーゲーム2』の予告映像です(残念ながらホフマンさんは映っていないようですが)



『ハンガーゲーム』シリーズは全4部作予定なので、やはり代役を立てるのか、新しいキャラクターに差し替えるのか・・・。

今はただ、冥福を祈ることしかできません。


セント・オブ・ウーマン/夢の香り [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
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カポーティ [DVD]

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  • 出版社/メーカー: 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
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永井一郎 訃報 出演料 訴訟 [訃報]

また日付が変わってしまいましたが、今日も書きます。

昼過ぎにネットを見て知りました。日本中のアニメファンの間で衝撃が走っています。

↓声優の永井一郎さん急死 82歳…もう聞けない波平の「バカモン」(スポニチアネックス)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140127-00000109-spnannex-ent



日本を代表するベテラン声優の一人だった永井一郎さんが、仕事先の広島市で虚血性心疾患のため急逝いたしました。享年82、改めてキャリアの長さを実感させられました。近年は納谷悟朗さん、内海賢二さん、加藤精三さんなどベテラン声優の訃報が相次いでいますが、今回は特に衝撃的でしょう。

↓永井一郎(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E4%BA%95%E4%B8%80%E9%83%8E

大阪府出身の永井さんは、京都大学文学部仏文学科を卒業後、役者を目指して上京するも立て続けに劇団入団試験に落ち、電通に勤めながら養成所に通います。そして養成所卒業後に、劇団三期会(愛川欽也さんら俳優座の3期生が結成)に参加。三期会が『スーパーマン』の吹き替えに参加していたのを機に声優の世界に入り、当時三期会中で最年長(それでも25歳!)だったために老け役の仕事が増えて次第に定着していきます。ついには声優の仕事が増えて映画や舞台に割ける時間がなくなったために自然と声優に専念するようになり、1959年のデビューから、亡くなるまでキャリアは55年にも及びました。

代表作を上げれば数知れず、真っ先に上がるのは上記のニュースでも出てきた『サザエさん』の磯野波平、ファーストガンダムこと『機動戦士ガンダム』のナレーション、デギン・ソド・ザビほか、『YAWARA!』の猪熊滋悟郎などなど・・・。詳細はWikipediaを見た方がいいでしょうが、その役を聞けば真っ先に特徴的な声が脳裏に浮かぶはずです。最近ではTBS系列の『情報7days ニュースキャスター』のナレーションも有名でした。

永井さんは、声優の権利拡大のために闘った人でもあります。1988年には『磯野波平ただいま年収164万円』と題して、声優の手元に入る出演料の低さを訴えました。下のリンクで、詳細を見ることができます。

↓ショッキングな実態公表(協同組合 日本俳優連合HP)
http://www.nippairen.com/news/hist1986/h198609.html

昔から、声優やアニメーターなどのアニメ業界に従事する人々の賃金が低いのはよく知られており、伊武雅刀さんのように待遇の悪さに耐えかねて声優をやめてしまった人もいるほどです。

そんな現状に対して永井さんは、野沢雅子さん、内海賢二さんらと共に立ち上がりました。3人は声優360人を代表して、音声制作会社に対してアニメのソフト化に伴う声の使用料の支払いを求める訴訟を起こし、2004年に勝訴。番組の出演料を設定することにも成功します。今もなお、声優さんの出演料が低い、とよく言われますが、永井さんたちが立ち上がる前にはもっと酷かったのです。改めて永井さんの功績はもっと評価されてしかるべきです。

今は、永井さんの功績に思いをはせるとともに、冥福を祈りましょう。
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佐久間正英 死去 GLAY DIAMOND SKIN 動画 [訃報]

今日は大寒とは裏腹な、比較的穏やかな日でした(仕事は修羅場でしたが)。今日こそは何とか書けそうです。

日本の音楽界に衝撃が走っています。

↓佐久間正英が逝去(ナタリー)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140120-00000071-natalien-musi

日本を代表する音楽プロデューサーの一人だった佐久間正英氏が死去いたしました。享年61、まだまだこれからという時の訃報でした。

↓佐久間正英(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E6%AD%A3%E8%8B%B1

佐久間正英さんは、プロデューサーとして活動する一方で、ベーシストとしても活動してきました。

↓佐久間さんのベースセミナーの公式動画です(一時間以上あり、重いので再生にはご注意ください)



佐久間さんが手がけたバンド・ミュージシャンは、Wikipediaを見ていただければわかるますが、代表的なものだけでもBOØWY、GLAY、黒夢、JUDY AND MARY、宮本浩次、JUN SKY WALKER(S)など多岐にわたります。

昨年にスキルス性胃がんであることを公表したのちも、亡くなる直前まで活動を続けていました。昨年のNHKの番組『ハロー&グッバイの日々 ~音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦~』も話題となりました。

↓ハロー・グッバイの日々~音楽プロデューサー佐久間正英の挑戦~(NHK総合)
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2013-12-25&ch=21&eid=6952&f=etc

佐久間さんの遺作は、昨年11月にリリースされたGLAYの「DIAMOND SKIN」となってしまいました。

↓DIAMOND SKIN/虹のポケット/CRAZY DANCE(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/DIAMOND_SKIN/%E8%99%B9%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88/CRAZY_DANCE



とても病気だということを感じさせない、素晴らしいアレンジとなっております。改めて、佐久間さんの才能を思い知らされる曲でした。PVに登場する男女は、GLAYと同郷の安田顕さん(『水曜どうでしょう』で有名ですね)と釈由美子さんが演じたことでも話題になりました。

↓GLAY新曲MV謎の女性は釈由美子だった!(dwango.jp news)
http://news.livedoor.com/article/detail/8225541/

今は、佐久間さんのご冥福を祈りましょう。安らかにお眠りください。
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やしきたかじん 委員会 山本浩之 司会 今後 [訃報]

今日は仕事始めでした。しかし、うちの会社は関係なく2日からずっと大忙しです。

今夜になって、突然の訃報が飛び込んできました。

↓“浪花の視聴率男”やしきたかじんさん死去 食道がんで休養中(産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140107-00000601-san-soci

やしきたかんさん(関西の人は、「じ」にアクセントを置きます)と言えば、フジテレビ系列の「たかじん胸いっぱい」、そして日本テレビ系列の「たかじんのそこまで言って委員会」での、毒舌あふれるトークが面白かったです。歌手としても、司会者としてもひとかどの地位を築き上げていました。

↓やしきたかじん(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93

↓たかじんのそこまで言って委員会(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%AE%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

たかじんさんのデビューは公式には1976年ということになっていますが、実は1971年にデビューするも、曲の刺激的な内容から廃盤の憂き目に、といういかにもなエピソードがあります。その後もなかなか評価されずに一度は歌手をやめようとさえしますが、次第にファンが増えて1980年代になってついにブレイク。歌はもちろん、トークも面白いことからライブのチケットは常にプラチナチケット、ついには冠番組まで持つようになりました。

実はこう見えても、たかじんさんは人前に出るのが苦手で、ライブ前にはしばしば体調を崩し、ライブ中にはサングラスをかけ、会場をうろうろするほどの繊細な方でした。なんだかんだで、気が付かないうちに体に負担がたまっていたのかもしれません。それだけサービス精神の旺盛な方だったのです。しばしば、同様に歌よりもトークが多い円広志氏と比較されていました。

たかじんさんという看板を失った今、「胸いっぱい」、「委員会」、「たかじんNOマネー GOLD」などの看板番組は今後いったいどうなるのでしょうか。「委員会」は2012年にコメンテーターの三宅久之氏が亡くなった時点でやめる、と言っていたものの、副委員長の山本浩之氏が番組を仕切っていますが・・・。やはり、たかじんさんあってのこれらの番組だったので「委員会」を除いては終わるのでしょうか?

残念ではありますが、いまはたかじんさんのご冥福をお祈りいたします。

追記:上記の3番組は、たかじんさんの名前をタイトルに残す事を決めました。「委員会」以外の司会者はどうなるのでしょうか。

↓冠3番組たかじんさんの名前残す 読売テレビ「故人の遺志」(デイリースポーツ)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140107-00000087-dal-ent

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