SSブログ

艦これ 龍驤 装備 動画 [歴史]

今日は、STAP細胞問題で振り回された小保方晴子さん一色でした。なんとも痛々しいほどなので、今はちょっと自重しておきます。

一方、今ネット上ではある空母が話題になっています。

↓【艦これ】龍驤改グラ更新!千歳・千代田・島風改ボイス追加!運営より4/09アップデート詳細まとめ!
http://kantama.net/archives/5165440.html

9日に「艦これ」こと「艦隊これくしょん -艦これ-」のアップデートが行われ、「艦娘」の声及びグラフィックが追加されました。特に今は、『龍驤』という空母が話題となっています。

艦これの『龍驤』及びアップデートされた『龍驤改』については下のリンクをご覧ください。

↓龍驤(艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*)
http://wikiwiki.jp/kancolle/?%CE%B6%F1%E8

↓龍驤改(同上)
http://wikiwiki.jp/kancolle/?%CE%B6%F1%E8%B2%FE

甲板が書かれた巻物と、『勅令』と書かれた炎(こちらのサイトによれば、言霊だそうです)を持った姿で描かれています。これらの姿は、実際の龍驤を元に書かれています。

↓龍驤(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%A9%A4_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)

本体が出来上がった後のロンドン海軍軍縮条約の規制により、装備が上に偏った逆三角形のトップヘビーという形状だったため常に転覆の危機と隣り合わせ、しかも同様にトップヘビーに作られた他戦艦の連続遭難事故の影響でさらに改造を受けるという史実から、まな板とまで評される体型になっているようです。

実際の龍驤については、こちらにプラモデルとCGではありますが動画をご覧ください。





逆三角形の形状、艦橋などをすべて横に配置したためフルフラットと呼ばれるまっ平らな甲板など、インパクトある形状がお分かりいただけると思います。

これまでにも「艦これ」については12月4日12月18日2月1日3月15日で取り上げてきました。私自身はゲームはできませんが、歴史を知れば知るほど興味がわいてきますので、これからも取り上げていくつもりです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ゲーム

Z1 レーベレヒト・マース 第一次世界大戦 軍人 [歴史]

今日も朝から寒い一日でした。残業があったので今から書きます。

3月11日の記事で書いた、STAP細胞の論文取り下げに、著者の小保方晴子さんらが同意したことが発表されました。今は、余計なことは言わずに事の推移を見守っていこうと思います。

うって変わって、今話題のブラウザゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』がまた注目されています。

↓【艦これ】海外艦の新艦娘はZ1:レーベレヒト・マース!!Z3:マックス・シュルツ!!とビスマルク!!!に決定!!(艦隊これくしょん速報)
http://blog.livedoor.jp/kantai_collection/archives/37665025.html

新しい「艦むす」として、なんとナチスドイツのZ1型駆逐艦レーベレヒト・マース』と『マックス・シュルツ』、戦艦ビスマルクが実装されることが決定し、ファンたちの反応がネット上を騒がせています。

ビスマルクはミリタリーマニアの間では知られていますが、Z1級駆逐艦となるとかなりマニアックなのではないでしょうか。

Z1級駆逐艦は1934年から建造を開始したことから『1934年型』と呼ばれ、1937年に完成して就役を開始しました。これら4隻の駆逐艦には、第一次世界大戦で戦死したドイツ海軍の軍人の名が付けられました

今回実装されたZ1に命名されたレーベレヒト・マース海軍少将は、開戦直後の1914年8月28日に勃発したヘルゴラント・バイト海戦で指揮官を務め、旗艦『ケルン』もろとも壮絶な戦死を遂げました。Z3に命名されたマックス・シュルツ海軍少佐は1917年1月23日に水雷艇V69に乗り込んでいた際にイギリス海軍と交戦して戦死しました。

ビスマルクの由来である鉄血宰相・オットー・フォン・ビスマルクと共に、これら男性の名前を付けた戦艦を女性として擬人化してしまうのですから、日本人の想像力はすごいというか、何というか…。ドイツ人がどんな反応をするのか見てみたい気がします。ちなみに、イラストはすべて島田フミカネ氏です。

私は仕事が忙しいのでゲームをする時間はとてもありませんが、歴史が好きなのでこのような話題は大変興味があります。今後も、何か情報があれば極力取り上げていきたいです。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ゲーム

魔鏡現象 三角縁神獣鏡 復元 東之宮古墳 動画 [歴史]

ごめんなさい、昨日はとても疲れてしまって、ごはん食べたらすぐ寝てしまいました。今日は早く帰れたので、「昨日の分」を今書きます。

古代のロマンをかきたてるニュースが飛び込んできました。

↓三角縁神獣鏡に「魔鏡現象」 最新技術で判明
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140129/k10014866311000.html

動画をご覧ください。


古代中国から古墳時代の日本にもたらされた銅鏡の一種、三角縁神獣鏡の思いがけない事実が判明しました。
光を当てると、鏡の裏の文様が浮かび上がる魔鏡現象」が起こるというのです。

↓三角縁神獣鏡(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B8%81%E7%A5%9E%E7%8D%A3%E9%8F%A1

では、魔鏡とはどんなものでしょうか?

↓魔鏡(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%94%E9%8F%A1

銅鏡は、普通は裏に文様を入れた形で鋳造され、表面をつやつやになるまでよく手で磨いて機械ではできません!)作られます。通常の厚さなら、ほぼ完全に真っ平らになるので光を当てても文様は出てきません。

しかし、1ミリほどの薄さまで研磨すると、原料の青銅が研磨の圧力でしなり、特に裏に文様がある厚い部分が削られて千分の一ミリほどの凹みが生じます。この凹みは非常にわずかなものであるため、通常の鏡として使うには問題ありません。しかし、光を当てて数メートル先に反射光を向けると、光が拡散・収束して文様が像となって見える、というわけです(わずかな凹凸の焦点距離が長いため)。これが魔鏡です。日本においては隠れキリシタンが十字架やマリア像などを拝むために使用していたことが知られていました。

今回は、保存状態がいい愛知県犬山市の東之宮古墳から出土した銅鏡からレーザー光線で型を取り、非破壊分析で青銅に含まれる銅やスズなどの割合を特定。さらに今話題の3Dプリンターで複製を作成して磨いてみたところ、魔鏡であることが判明したというわけです。

↓東之宮古墳(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B9%8B%E5%AE%AE%E5%8F%A4%E5%A2%B3

3Dプリンターは、近年では考古学などにおいて、研究や観賞用の精密なレプリカを作るために用いられる例が増えています。これからも新たな発見があるかもしれませんね。

↓クローズアップ現代―“3Dプリンター革命” ~変わるものづくり~
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3323.html

今回の発見では、鏡の用途のほかに日本の信仰や神話の源流に迫れるのではないか、という反応が識者から寄せられています。あの邪馬台国にも関わりの深い今回の発見で、歴史のロマンがまた一つ増えました。さらなる研究の進展に期待しましょう。

追記:テレビのニュースで見ましたが、銅鏡を作った3Dプリンターは、金属の粉末にレーザー光線を当てて溶かすことによって作るようです。

↓株式会社システムクリエイト(同様の粉末金属造形機を製造している企業です)
http://www.systemcreate-inc.co.jp/products/3d/printer/insstek_mx.html





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

駿河屋 練り羊羹 室町時代 最古 暖簾分け [歴史]

今日もなかなかいいネタが浮かばず、日付が変わってしまいました…本当にごめんなさい。

↓<駿河屋>民事再生法の適用申請…老舗和菓子メーカー(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140117-00000107-mai-bus_all

日本でも最古の和菓子メーカーの一つである駿河屋(和歌山県和歌山市)が民事再生法を申請し、保全命令を受けました。会社は今後も営業は続けます。

↓駿河屋(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%BF%E6%B2%B3%E5%B1%8B

駿河屋は今から550年前、室町時代中期に当たる寛正元年(1461年)に、京都の伏見に「鶴屋」として創業。1619年に紀州徳川家についていく形で和歌山へ渡り、1658年に当時一般的だった、小麦粉や葛粉を加えて蒸し上げる蒸し羊羹を改良して、寒天を入れて加熱してよく混ぜてから固める練り羊羹を開発

他店のものですが、練り羊羹の製法はこちらです。


1689年に徳川家に所縁ある駿河国にちなんで徳川家から「駿河屋」の屋号を与えられました。その後も紀州藩御用御菓子司として藩主に菓子を献上してきました。その後、1944年に株式会社化、1961年に上場し、現在に至るまで羊羹を中心とした和菓子を製造してきました。これまでに11社が暖簾分けし、「伏見駿河屋」、「稲荷駿河屋」などの店が日本各地へ渡って行きました(勝手に名乗っている店も多いようです)。

しかし、洋菓子が広まると次第に売り上げが低下。さらに、2003年に社長が架空増資で逮捕され、上場廃止に追い込まれました。経営陣を一新した後も贈答用含めて売れ行きは落ち続け、今回の事態となったわけです。

和菓子といえば、昨年12月には京都で357年続いた飴屋が廃業したのが話題となったばかりです。

↓【357年の歴史に幕】桂飴本家「養老亭」が閉店でツイッターには嘆く声が
http://matome.naver.jp/odai/2138821711223257401

和食が世界遺産になったのですから、ぜひ和菓子も世界へ向けてもっとアピールしてほしいものです。歴史の重みは、絶好のセールスポイントとなるのですから。あと、私たちも意識して和菓子を食べるようにしなければ…。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

伊400型 潜水艦 発見 晴嵐 空襲 [歴史]

最近は、先の大戦の戦艦を擬人化したブラウザゲーム(スマホではできません・・・失礼)「艦これ」こと「艦隊これくしょん -艦これ-」が話題となっている中、すごいニュースが飛び込んできました。

↓旧日本軍の巨大潜水艦、ハワイ沖で発見(CNN)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131204-35040874-cnn-int

CNNの動画はこちらです。
http://www.cnn.co.jp/video/12030.html

旧日本軍が製造した当時としては最大の潜水艦伊400型の一号機、伊400型潜水艦こと伊号第四〇〇潜水艦(第5231号艦)の残骸が、今年8月にハワイ・オアフ島沖に沈んでいるのが発見されました。アメリカ国務省と日本政府による確認を経て今回正式に発表されました。

↓伊400型潜水艦(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%9B%9B%E3%80%87%E3%80%87%E5%9E%8B%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6





伊400型潜水艦は、太平洋戦争開戦後に「アメリカ艦隊を急襲できる戦闘機を搭載できる潜水艦」として製造され、400号から404号までの5隻が製造され、専用の水上攻撃機・「晴嵐」(ちなみにアメリカ本土を空襲したのは零式小型水上偵察機です。この記事を書く時まで勘違いしていました)を翼を折りたたんで3基搭載できるようになっており、俗に「潜水空母」とよばれます。長さは122メートル、幅12メートルもあり、第二次世界大戦当時の潜水艦としては最大の大きさでした。

しかし、戦況の悪化及び本土空襲により、実際に完成したのは400、401、402号の3機のみ、しかも実戦に参加したのは400号と401号のみに終わりました。しかも、実際には目的地の南太平洋カロリン諸島ウルシー環礁へ向かう途中で終戦となり、日本へ戻ってアメリカ軍に接収され、分析調査の後に共にハワイ沖で標的艦として撃沈、という最後を遂げました。2005年には真珠湾沖で401号が発見されています。

現在放送中のアニメ「蒼き鋼のアルペジオ-アルス・ノヴァ-」では姉妹艦の伊401号をモデルとした『イ401』が重要な役割を演じていますが、今回の400号発見でネット上では大きな話題となっています。監督の岸誠二さんもツイッターで「何かご縁を感じてしまいます」と発言しています。

↓TVアニメ「蒼き鋼のアルペジオ」HP
http://aokihagane.com/

しかも、本アニメは艦これともコラボレーションしているそうなので、興味のある方は要チェックです。伊400型潜水艦が艦これに登場することはあるのでしょうか?

奈良 法隆寺 土塀 版築 製法 [歴史]

今月3日が文化の日であることはこの日の記事でも触れましたが、このことにも関わってくる悲しいお知らせがありました。

↓<落書き>法隆寺土塀に「殺すぞボケ」など2カ所 修復困難(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131127-00000034-mai-cul



世界遺産である奈良県法隆寺の重要文化財の土塀「西院大垣(さいいんおおがき)」に、尖ったもので落書きが刻まれていたそうです。土塀を削る形で書かれていたため、きれいに修復するのは困難だそうです。寺は文化庁に毀損届を提出し、県警にも被害届を出す方針です。

では、この土塀はどのように作られたのでしょうか?それは、「版築」(はんちく)という製法です。

↓版築(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%88%E7%AF%89

具体的には、
1・まず、塀を作りたい部分を板で覆って囲み枠を作る
2・囲み枠に土や砂利などを薄く積む
3・土を「叩き棒」などの道具で突き固める→2を繰り返す
4・土が板の高さまで積みあがったら板を付け足すか、外して新しい板に変える
5・目的の高さまで積み上がったら完成

となります。この方法で作られた壁は、まるで地層やバームクーヘンのように細かい縞模様ができ、独特の風合いを持ちます。版築は、コンクリートが発明されるまでは安くて丈夫な工法として中国などで用いられてきました。近年では、化学物質などを使わない自然な工法として注目を集めていますが、一部ではコンクリートを用いた「もどき」が問題となっているようです。

今回の落書きを見ると、写真や映像を見た限りでは、落書きを消そうとすると周りも削る必要が出てくるため、表面の自然な風合いが消えてしまいかねません。

昔の遺跡に当時の人が書き残したものはともかく、今では落書きは文化的にも道徳的にも許されるものではありません。近年では日本の観光客が海外の遺跡や建築物に残した落書きが問題となって本人が特定され、謝罪に追い込まれた、という事件が取り上げられました。

犯人が誰かはまだわかりませんが、改めて、日本の伝統文化への畏敬の念を持たなければならない、と実感させる事件でした。



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。