忍城 のぼうの城 エンドロール テレビ カット [映画]
昨日、一昨日は失礼しました。今日は無事に書くことができます。
先ほど、TBS系列で映画「のぼうの城」が放送されていました。野村萬斎さんが主役の時代劇でしたが、とても負ける側とは思えない主人公・成田長親を熱演していました。
↓のぼうの城(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%AE%E5%9F%8E
「のぼうの城」の予告映像です。
その舞台となったのが忍城(おしじょう)です。
↓忍城(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E5%9F%8E
この忍城は利根川のほとりの沼地に築かれており、沼を埋め立てるのではなく沼地内の島に橋を掛ける、という形で作られました。
沼地内ということもあり、平城でありながら容易に外敵は入れないという優れた城でした。そこへ、1590年(天正18年)に天下をほぼ手中に収めていた豊臣秀吉が最後の宿敵・北条氏の根城である小田原城及び周辺の城を攻略をかけます(小田原征伐)。その中に忍城も含まれていました。当時の城主が、野村萬斎さん演じる成田長親というわけです。6月5日に攻撃が開始され、忍城攻め総大将の石田三成は利根川をせき止めて(石田堤)水責めを狙うも、農民の反発により堰を崩されたり、利根川の水量が少ないと思ったら大雨に増水して堤が決壊し、犠牲者が出るなどして失敗。
結局、北条氏が降伏して小田原城が先に開城したため(7月5日)、7月16日に忍城は落城ではなく開城という結末に至り、ほぼ無傷のまま引き渡されて江戸時代に拡張されます。しかし明治時代になってそのほとんどが撤去されてしまい、一時は野球場までが作られましたが、1988年に御三階櫓が外観のみ復元され(実際の場所とは異なる)、今は博物館となっています。
映画のラストシーンの後のエンドロールでは、現在の忍城の風景も使われていましたが、今日のテレビ放送では丸ごとカットされてしまいました。このため、ネット上では「最後まで見たかった」という声が聞かれます。
栄枯盛衰は世の習い、あえて城の今の姿も見せる、という演出は興味深かったです。ぜひビデオで見てみたいものです。
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先ほど、TBS系列で映画「のぼうの城」が放送されていました。野村萬斎さんが主役の時代劇でしたが、とても負ける側とは思えない主人公・成田長親を熱演していました。
↓のぼうの城(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%81%86%E3%81%AE%E5%9F%8E
「のぼうの城」の予告映像です。
その舞台となったのが忍城(おしじょう)です。
↓忍城(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%8D%E5%9F%8E
この忍城は利根川のほとりの沼地に築かれており、沼を埋め立てるのではなく沼地内の島に橋を掛ける、という形で作られました。
沼地内ということもあり、平城でありながら容易に外敵は入れないという優れた城でした。そこへ、1590年(天正18年)に天下をほぼ手中に収めていた豊臣秀吉が最後の宿敵・北条氏の根城である小田原城及び周辺の城を攻略をかけます(小田原征伐)。その中に忍城も含まれていました。当時の城主が、野村萬斎さん演じる成田長親というわけです。6月5日に攻撃が開始され、忍城攻め総大将の石田三成は利根川をせき止めて(石田堤)水責めを狙うも、農民の反発により堰を崩されたり、利根川の水量が少ないと思ったら大雨に増水して堤が決壊し、犠牲者が出るなどして失敗。
結局、北条氏が降伏して小田原城が先に開城したため(7月5日)、7月16日に忍城は落城ではなく開城という結末に至り、ほぼ無傷のまま引き渡されて江戸時代に拡張されます。しかし明治時代になってそのほとんどが撤去されてしまい、一時は野球場までが作られましたが、1988年に御三階櫓が外観のみ復元され(実際の場所とは異なる)、今は博物館となっています。
映画のラストシーンの後のエンドロールでは、現在の忍城の風景も使われていましたが、今日のテレビ放送では丸ごとカットされてしまいました。このため、ネット上では「最後まで見たかった」という声が聞かれます。
栄枯盛衰は世の習い、あえて城の今の姿も見せる、という演出は興味深かったです。ぜひビデオで見てみたいものです。
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