三島由紀夫 ノーベル文学賞 報道 大江健三郎 [文学]
昨日は、11時まで仕事が終わりませんでした。そのうえ、今は帰省中で、生まれたばかりの甥っ子もいてバタバタしています。というわけで、二度目の二日ぶりの書き込みです。
今は日本のソフトパワーが注目を集めていますが、前世紀のソフトパワーに関する事実が公表されました。
↓三島由紀夫、ノーベル文学賞候補だった 1963年推薦(朝日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140103-00000015-asahi-int
小説家・三島由紀夫が、1963年のノーベル文学賞の候補にノミネートされていたことが明らかになりました。
オリジナルのサイトはこちらです。
↓”Candidates for the 1963 Nobel Prize in Literature”ーノーベル財団HPより(英語)
http://www.nobelprize.org/nomination/literature/1963.html
三島は最終候補の6人の中に入っていたものの、結局この年のノーベル文学賞は三島ではなくギリシャの詩人で外交官でもあったイオルゴス・セフェリスが受賞しました。
↓イオルゴス・セフェリス(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B9
これ以降、たびたび報道などで取り沙汰されることはあったものの三島はついにノーベル賞を取ることはできず、政治に傾倒した末に、1970年、「限りある命なら、永遠に生きたい」という書置きを残して壮絶な最期を遂げました。最後の模様については調べればわかるのでここでは述べません。しかし、三島が戦後の日本、ひいては文学者としての自分に絶望していたことは、この書置きとともに自宅書斎に残されていたというサンケイ新聞(当時はカタカナ)夕刊に載せられていた『果たし得ていない約束―私の中の二十五年』を見るとわかります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%97%E5%BE%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E7%B4%84%E6%9D%9F%E2%80%95%E7%A7%81%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%B9%B4
この文では、最後の「私は、日本の将来に希望をつなぐことができない。…」という一節がよく知られていますが、三島は自分の創作活動を「排泄物を積み上げただけだ」とまで言い切り、人生最後の日を予感するかのようにしてこの文を終えており、事実上の遺書といえるため、たびたび取り上げられます。現在は『文化防衛論』に収録されています。
今回の報道を知り、改めてもし三島がノーベル文学賞を受賞していたら彼の人生はどうなっていたか、そして日本はどうなっていたか、とも考えてしまいます。「自分がノーベル賞を受賞できないなら、受賞するのは大江健三郎だろう」とまで言い(これは1994年に現実となります)、立場の違いを超えて認めるものは認めていた人なのですから。
小説ばかりではなく、彼の政治論が忌憚なく評価されることを望みます。三島自身が言っていたように「2、300年後」ではなく、今の時代において。
いろいろ書いていたら日付が変わってしまいました。明日はきちんと書きます。
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今は日本のソフトパワーが注目を集めていますが、前世紀のソフトパワーに関する事実が公表されました。
↓三島由紀夫、ノーベル文学賞候補だった 1963年推薦(朝日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140103-00000015-asahi-int
小説家・三島由紀夫が、1963年のノーベル文学賞の候補にノミネートされていたことが明らかになりました。
オリジナルのサイトはこちらです。
↓”Candidates for the 1963 Nobel Prize in Literature”ーノーベル財団HPより(英語)
http://www.nobelprize.org/nomination/literature/1963.html
三島は最終候補の6人の中に入っていたものの、結局この年のノーベル文学賞は三島ではなくギリシャの詩人で外交官でもあったイオルゴス・セフェリスが受賞しました。
↓イオルゴス・セフェリス(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%82%B9
これ以降、たびたび報道などで取り沙汰されることはあったものの三島はついにノーベル賞を取ることはできず、政治に傾倒した末に、1970年、「限りある命なら、永遠に生きたい」という書置きを残して壮絶な最期を遂げました。最後の模様については調べればわかるのでここでは述べません。しかし、三島が戦後の日本、ひいては文学者としての自分に絶望していたことは、この書置きとともに自宅書斎に残されていたというサンケイ新聞(当時はカタカナ)夕刊に載せられていた『果たし得ていない約束―私の中の二十五年』を見るとわかります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9C%E3%81%9F%E3%81%97%E5%BE%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84%E7%B4%84%E6%9D%9F%E2%80%95%E7%A7%81%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AE%E4%BA%8C%E5%8D%81%E4%BA%94%E5%B9%B4
この文では、最後の「私は、日本の将来に希望をつなぐことができない。…」という一節がよく知られていますが、三島は自分の創作活動を「排泄物を積み上げただけだ」とまで言い切り、人生最後の日を予感するかのようにしてこの文を終えており、事実上の遺書といえるため、たびたび取り上げられます。現在は『文化防衛論』に収録されています。
今回の報道を知り、改めてもし三島がノーベル文学賞を受賞していたら彼の人生はどうなっていたか、そして日本はどうなっていたか、とも考えてしまいます。「自分がノーベル賞を受賞できないなら、受賞するのは大江健三郎だろう」とまで言い(これは1994年に現実となります)、立場の違いを超えて認めるものは認めていた人なのですから。
小説ばかりではなく、彼の政治論が忌憚なく評価されることを望みます。三島自身が言っていたように「2、300年後」ではなく、今の時代において。
いろいろ書いていたら日付が変わってしまいました。明日はきちんと書きます。
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